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シリーズ【人吉球磨の日本遺産】第四回『下球磨編』

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2025.04.14

シリーズ【人吉球磨の日本遺産】第四回『下球磨編』

投稿者|人吉市地域おこし協力隊

こんにちは! 人吉市地域おこし協力隊の坂元です。

 

シリーズ【人吉球磨の日本遺産】は今回が最後になります。

 

第四回目の今回は『下球磨編』です。人吉市、山江村、相良村、球磨村、五木村の日本遺産の構成文化財をご紹介します。下球磨地域は相良氏がお城を築き拠点とした地域です。そのため、青井阿蘇神社のように人吉球磨地域全体を代表するような構成文化財もあります。

 

しかし今回は、あえてそこを少し外して、意外と世間では知られていないような文化財をご紹介したいと思います! 歴史深い地域だからこそ、本当に数えきれないほどのエピソードがこの人吉球磨には眠っています。これを読んだ方にその一端でも知ってもらって、人吉球磨地域の理解を深めてもらえると嬉しいです。

 

 

①雨宮神社

 

 

人吉市から五木村へ向かう途中、相良村にこんもりとした小さな森が田畑の中にポツンと現れます。

 

 

森の中には階段があり、結構な段数を登ってようやくたどり着いた頂上に建っているのが雨宮神社です。トトロの森として親しまれていたほか、近年では人気アニメのモデル地にもなったので、ここを訪れる人は多いと思います。

 

雨宮神社はその名のとおり、雨乞いに関する言い伝えがある神社です。その昔、人吉球磨で干ばつが発生しました。相良のお殿様は領内の神社を参拝して雨乞いをしましたが、なかなか雨は降りませんでした。そんな折に雨宮神社に参拝した際、雨乞いを祈ってもなかなか雨が降らないことの無念を

 

名も高き 木末の松も枯れつべし なほ恨めしき 雨の宮かな

千早ぶる 神の井垣も枯れ果てて 名も恥づかしき 雨の宮かな

 

という2編の歌を詠みました。その思いが通じたのか、帰り道ににわかに空が黒くなり、激しく雨が降ったそうです。この故事以降、雨宮神社は雨乞いにご利益がある神社として有名になり、干ばつの際には雨を願う人々が参拝しました。

 

また、雨宮神社境内には巨岩でできた狭い天然のトンネルがあり、『三産(さんしゃん)くぐり』といって潜り抜けられたら『幸せを産む』『安産』『金を産む』という三つのいいことが起こるとされています。階段を上るのはちょっと大変ですが、ぜひ行ってみてくださいね。

 

②東俣・西俣阿蘇神社

 

東俣・西俣阿蘇神社は五木村としては唯一の日本遺産人吉球磨の構成文化財です。現在は白川神社という神社とともに三社で合祀され、五木阿蘇神社という名前で五木村役場の近くに鎮座しています。神殿は五木阿蘇神社の境内にあります。

 

 

東俣・西俣阿蘇神社はそれぞれ平安時代前期に五木村の西俣と東俣に創立されました。それからしばらくは村の神社として造営、改修が行われてきました。江戸時代の中期ごろから、五木村の民衆との結びつきを重視した人吉藩主が庄屋元(村長のようなもの)を東俣阿蘇神社に派遣し、例大祭には名代を派遣するようになったそうです。さらに、藩主自らが例大祭に参加することもあったとか。

 

神社には巨大な木の切り株が奉納されています。これは各神社が五木阿蘇神社として合祀されて現在の場所に移される際に切られた、樹齢600年ともされる東俣阿蘇神社のご神木の切り株だそうです。直径は1m以上あり、圧巻の迫力です。切られる前はいったいどれほどの大きさだったのでしょうか。

 

 

③山田大王神社

 

山江村の山田大王神社はかつてこの地域を治めていた豪族、平川氏の霊を祀っており、創建は鎌倉時代の1299年から1302年頃とされています。

 

神社の敷地内には、本殿、拝殿、神供所の三つの社殿と、一基の石鳥居が立ち並び、それらはすべて国指定の重要文化財になっています。特に本殿は、南九州では珍しい中世の建築が非常に良い状態で保存されています。三間社流造の本殿の屋根は茅葺で、内装には鮮やかな朱色の「丹土塗り」が施されています。この丹土塗りは太宰府以南だとここでしか見ることができない貴重な技法だそうです。また本殿の正面には「タスキ」という装飾があり、祀られている平川氏の怨霊を封じるためのものだと言われています。

 

毎年11月4日には五穀豊穣を願う例大祭が行われ、地域の人々が集います。人吉球磨地域の深い歴史や豊かな文化を味わうことができるこの神社で、ぜひ特別なひとときを過ごしてみてはいかがでしょうか。

 

④岩屋熊野座神社

 

岩屋熊野座神社は人吉市東間上町にある神社です。立派な茅葺屋根は2011年の改修によって復活し、現在でも月に3回ほど、拝殿の囲炉裏で火を焚き煙で燻して維持管理をしています。

 

 

境内の奥には、ぽっかりと空いた洞窟があります。この洞窟は相良氏が下向する以前からここにあったそうです。言い伝えでは洞窟の奥には大蛇がいるといい、そういった地域の信仰もあって古くは修験道の修行者が住んでいたそうです。以前は空洞が奥まで続いていたらしいのですが、昭和のころから水位が上がりだし、一時は洞窟からあふれるほどにまでなったんだとか。そのときは祈祷を行い、今の水位に収まったそうですよ。

 

 

岩屋熊野座神社の由来は相良氏の下向にあります。鎌倉時代に人吉に下向してきた相良氏が人吉に拠点を構えた際、人吉球磨にも熊野権現(現和歌山県の有名な神社)を勧請したいと考えました。そこで地元の人々にいい土地を聞いたところ、「大蛇が住む洞窟」を紹介されました。当時の相良のお殿様は修行者の話を聞き、これまでの修行の苦労をねぎらってその場所に神社を建てました。これが岩屋熊野座神社の始まりです。

 

 

この神社は鳥居も特徴的です。なんと春と秋のお彼岸の日は、鳥居から日が昇る光景を見ることができるんです。夜は社殿がライトアップされていたりと、普通にお昼に行くのもいいですが早朝や夜遅くに行ってみるのもおすすめですよ。

 

 

まとめ

 

今回はシリーズ【人吉球磨の日本遺産】の第四回『下球磨編』ということで文化財をご紹介しました。今回はあえてややマイナーな文化財をご紹介しましたが、意外と面白くて興味深い歴史があったのではないでしょうか? 日本の歴史を動かすような大きな出来事ではないですが、この地域に住んでいた人たちの営みをうかがい知り、現在の私たちのルーツを考えるきっかけになることが、このような地域の歴史を学ぶ楽しさだと思います。これをぜひ感じてほしいですね。

 

全4回にわたってご紹介してきた本シリーズも、今回が最終回になります。日本遺産の概要に始まり、上球磨、中球磨、下球磨とご紹介してきました。もちろんすべては紹介しきれていないのですが、各地域によって文化財の毛色が違うことは伝わったでしょうか。これを読んで、少しでも人吉球磨のことを知ってもらえると嬉しいです!

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