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シリーズ【人吉球磨の日本遺産】第三回『中球磨編』

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2025.04.08

シリーズ【人吉球磨の日本遺産】第三回『中球磨編』

投稿者|人吉市地域おこし協力隊

こんにちは! 人吉市地域おこし協力隊の坂元です。

 

前回に続いて、今回もシリーズ【人吉球磨の日本遺産】をやっていきたいと思います。

 

第三回目の今回は『中球磨編』として、あさぎり町、錦町の日本遺産をご紹介したいと思います。

 

中球磨地域は人吉球磨地方の地理的な中心地で、相良氏が入る前からの有力豪族の拠点があり、、また相良氏の庶流であった上村氏に関連した文化財も多く残る地域です。

 

相良氏に滅ぼされた側の史跡が多く残るのがこの地域の特徴で、これも相良氏、人吉球磨の特徴の一つになります。これを見て、ぜひ歴史の奥深さを体感してくださいね。

 

 

①白髪神社

白髪神社はあさぎり町上(旧上村)にある神社です。この神社はあさぎり町皆越にある白髪岳を御神体としており、前回ご紹介した里宮神社と同じく遥拝所となります。本宮は白髪岳の山中にある三池神社という神社です。

 

白髪神社は上村氏という相良氏の庶流の家が氏神とした神社で、上村氏によって整備されました。

ご利益としては古くから雨乞いの神社として重宝されており、また安産の神様でもあったので、多くの人から長らく信仰を集めてきました。現在では毎年10月に秋季例大祭が行われており、地域の方々が集まる一大イベントとなっています。

 

ちなみに、白髪神社の御神体、白髪岳のある皆越(みなごえ)という地名には面白い由来があります。相良氏はもともと現在の静岡県牧之原市付近の出身なのですが、鎌倉時代に人吉を任された際に、相良氏を慕う人々が後を追って人吉球磨地域に入りました。ある人物が宮崎経由で入ってきた際に、とある山で一緒に連れてきていた家臣などが全員峠を越えられたかを確認しました。この時にみんな越えられたことを記念して、その人物は自ら皆越姓を名乗り、また峠を越えたか確認した地域の名前が皆越、となったそうです。

 

②谷水薬師堂

谷水薬師堂は白髪神社と同じくあさぎり町上の山奥にある薬師如来を祀ったお寺です。もとは東円寺というお寺の金堂として建てられたもので、東円寺が廃寺されてからは薬師如来像を祀る薬師堂となっています。

 

駐車場から少し山に入ったところに入り口があり、その先にある階段を上ると谷水薬師堂が見えてきます。そもそも東円寺は上村氏の菩提寺だったお寺でした。上村氏は、戦国時代に相良家当主に反乱を起こして滅ぼされたのですが、その際に東円寺も焼けてしまいます。しかし地域の信仰が厚い人々によって再建され、現在は薬師堂となっているのです。

 

薬師堂の入り口には金剛力士像が配置されているのですが、この像に口で噛んだ紙を投げつけると当たったところの病気がよくなる『紙礫(かみつぶて)』という言い伝えがあります。体の調子が悪くてなかなか治らない方は、一度谷水薬師堂に赴いて紙礫を試してみてはいかがでしょうか? もしかしたらいいことが起こるかもしれませんね。

 

③岩城跡/木本神宮

岩城跡とは、錦町にある相良氏以前に人吉球磨の有力豪族だった平川氏が居城としていた場所を指します。平川氏が滅ぼされた後も山城として使われていたようで、江戸時代の『球磨絵図』にも出てきます。現在は錦町の木上小学校の近くにあるこんもりとした小さな山になっていますね。

 

頂上部には木本神宮という神社が建っています。こちらは相良氏が1513年に建てたもので、古くは木本権現と呼ばれていました。伝承では、市房山神宮まで参拝しようとした相良のお殿様が何度も大雨で断念させられたため、この場所に市房山神宮の神様を勧請して参拝したとみなされるようにしたそうです。

 

④タイ捨流剣法

人吉球磨に伝わる秘剣、それがタイ捨流剣法です。

 

タイ捨流剣法は戦国時代に活躍した西の剣豪・丸目蔵人佐長恵(まるめくらんどのすけながよし)という人物によって創始された剣術になります。丸目蔵人佐は有名な剣術である新陰流の奥義を窮め、同門四天王の一人に数えられた剣豪です。同じ四天王では、柳生但馬守宗矩が有名ですね。

 

京都で新陰流を窮めた丸目は九州で新陰流を広める中でタイ捨流剣法を編み出しました。晩年は人吉藩領の現在の錦町一武付近で昼は農作業、夜は兵法を教え、89歳で没しました。現在は同地に丸目蔵人佐の墓があります。

タイ捨流剣法の『タイ』とは、体、対、待、太……など様々な漢字が当てはまります。しかしどれかの漢字を当てはめてしまうと他の部分は対応することができません。これら『タイ』をすべて捨て去り、あらゆる状況に対応できる剣術を目指したものがタイ捨流剣法なのです。現在ではイベント等で披露されることもあるようなので、気になった方はチェックしてみてくださいね。

 

 

まとめ

 

今回はシリーズ【人吉球磨の日本遺産】第三回『中球磨編』として、あさぎり町、錦町の構成文化財をご紹介しました。中球磨地域は相良氏から少し離れつつも、この地域の歴史を語るうえでは外せない大事な文化財が多く残っています。歴史の奥深さを感じられる地域ですので、ぜひ回ってみてくださいね!

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