2025.03.28
シリーズ【人吉球磨の日本遺産】第一回『日本遺産って何?』
投稿者|人吉市地域おこし協力隊

こんにちは! 人吉市地域おこし協力隊の坂元です。最近は暖かくなったり寒くなったりで、服装が難しくて大変ですね。人吉では雪がちらつく日があったりしました。
さて、今回から【人吉球磨の日本遺産】というシリーズを始めたいと思います。第一回は『日本遺産って何?』ということで、日本遺産とは何かという疑問と、人吉球磨の何が日本遺産として認定されたのかについて解説していきたいと思います。
今回のシリーズを読んで、魅力的な人吉球磨の歴史を知ってほしいと思いますので、よろしくお願いします!
日本遺産について
※詳細は日本遺産ポータルサイト及び日本遺産人吉球磨ポータルサイトより
人吉球磨は2015年に『相良700年が生んだ保守と進取の文化~日本で最も豊かな隠れ里-人吉球磨~』という名称で日本遺産に認定されました。
人吉球磨地方は鎌倉時代から明治維新までの約700年間にわたり相良氏という一族で統治されてきた全国的にも珍しい地域です。この「相良700年」に受け継がれた文化財や風習、地域の歴史を結び付けて紡がれた物語が、日本の文化・伝統の魅力を伝えるものとして日本遺産に認定されました。
そもそも『日本遺産』とは何でしょうか。日本遺産とは文化庁によると
“「日本遺産(Japan Heritage)」は地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として文化庁が認定するものです。”
となっています。ユネスコ(UNESCO)が認定する世界自然遺産や世界文化遺産は、その自然や文化の『保護・保存』を目的としているため、活用に制限が設けられる場合が多いです。しかし日本遺産は、
”ストーリーを語る上で欠かせない魅力溢れる有形や無形の様々な文化財群を、地域が主体となって総合的に整備・活用し、国内だけではなく海外へも戦略的に発信していくことにより、地域の活性化を図ることを目的としています”
とされており、ツアーの目的地に使ったり、日本遺産に認定された場所でイベントを行うなど、日本遺産という枠組みを地域活性化のために積極的に活用することを想定している点に違いがあります。
そんな日本遺産は2015年からスタートし、日本各地の魅力のある文化を認定することでブラッシュアップされています。人吉球磨の登録は初回の2015年からで、今年は日本遺産登録10周年になります。
人吉球磨の何が日本遺産に登録されたのか
それでは、具体的に人吉球磨の何が日本遺産なのでしょうか。
日本遺産に認定された際の正式な名称は
『相良700年が生んだ保守と進取の文化~日本でもっとも豊かな隠れ里-人吉球磨~』
となっています。これは、相良氏の700年の統治の中で領主から民衆までが一体となったまちづくりの精神が継承され、社寺や仏像群、神楽等を共に進行し、楽しみ守る文化がはぐくまれた点、それと同時に進取の精神をもって外来の文化を吸収し、独自の文化や交通網が整えられた点を表しているそうです。
作家司馬遼太郎は人吉球磨を訪れた際、自著に「日本でもっとも豊かな隠れ里」と書きましたが、保守と進取の双方向から育まれたこの地の文化を象徴する言葉になっていますね。
実際に認定された構成文化財としては、国宝である『青井阿蘇神社』や、多良木町にある有形文化財にして国指定重要文化財である阿弥陀如来像が堂内に鎮座する『青蓮寺阿弥陀堂』といった寺社仏閣はもちろんのこと、『球磨神楽』のような長く保存されてきた無形の民俗文化財から『ウンスンカルタ』という舶来の南蛮遊戯、『球磨拳』のように現在のじゃんけんのような地域独自の遊びまで、様々なものが一つのパッケージとして構成されています。
この10年の間に新規追加された構成文化財もあります。その一つが『市房杉』です。
人吉球磨の最奥、水上村には『市房山』という標高1,721mの山があります。郡内最高峰を誇る市房山は古来より信仰の対象でした。登山道には樹齢1000年ともいわれる『市房杉』が生えていて、幹回りはなんと数mもあり、そんな大樹が立ち並ぶ光景は圧巻です。
日本遺産として認定されている人吉球磨の文化財は、これらを合わせて全部で59あります。
まとめ
今回はシリーズ【人吉球磨の日本遺産】の第一回ということで『日本遺産って何?』というテーマでご紹介しました。日本遺産のことについて、少しでも理解していただけると嬉しいです。
次回以降は、人吉球磨地域を上球磨・中球磨・下球磨の3地域に分けて、それぞれの地域に由来する日本遺産の構成文化財をいくつかピックアップしてご紹介したいと思っていますので、ご期待ください!