2024.10.17
イベント
おくんち祭りが開催されました!
投稿者|地域起こし協力隊 坂元
こんにちは! 人吉市地域おこし協力隊の坂元です。
10月に入りしばらく経ちました。温度計は30度を超えなくなってきているのですが、人吉は湿度が高いためまだまだ感覚としては暑いですね。
さて、そんな人吉では10月の頭に『おくんち祭り』が開催されました。人吉球磨地域で最も盛大に行われる行事と聞いており、私も楽しみにしていた行事です。しっかり見てきましたので、その時の様子をお伝えしたいと思います。
おくんち祭りとは?
まずは、おくんち祭りとは何かというところから。
おくんち祭りとは、簡単に言うと神様の誕生祭です。
青井阿蘇神社は、記録によると806年の旧暦9月9日に人吉に鎮座しました。808年というと、平安京が794年に成立したので平安時代の初期も初期ですね。そんな時代に鎮座した青井阿蘇神社を記念して、毎年旧暦の9月9日にお祝いをするようになりました。これが”おくんち(9日)祭り”です。
おくんち祭りは現在、旧暦から西暦に変わった影響もあって10月3日から11日までの9日間行われています。中でも、10月9日(旧暦の9月9日)に行われる神幸(しんこう)行列はお神輿が人吉の街を練り歩き、最も盛り上がる日です。9日は人吉市内の学校はすべて休校になり、一部の企業もお休みとなります。この形式になったのは1913年ごろからで、100年以上続いています。いかに青井阿蘇神社、おくんち祭りがこの地域の方々に愛されてきたかがわかりますね。
神事
おくんち祭りは10月3日から始まります。この日程は、曜日関係なく毎年変わりません。
3日は鎮火祭、半纏おろしがあります。初日に火にまつわる行事を行うのは、この時期に吹く強い突風『くんち風』が火災を起こしやすいからです。神社では御神燈の灯りや賄い等で普段より火を使う機会が多くなり、また各家庭では祭参りで家を空けがちになるので、祭期間中に不慮の火災を出すことがないよう祈願するのがこの神事です。
半纏おろしでは、提灯を使ってその年のおくんち祭りのテーマになる漢字1文字が表されます。今年はという意味を込めて『奏*』という漢字でした。
*『奏』の理由は「田舎の素朴さと都の流行が奏でた青井阿蘇神社で継続と改善が奏で続けるおくんち祭。そして、復興が進む中で記憶と希望が奏でる一人一人の活力でより一層の繁栄を祈る」からだそうです。
それから毎日何かしらの神事が執り行われているのですが、6日に開催された子供神楽は見ることができました。人吉球磨の高校生以下の子どもたちが球磨神楽を舞う様子は見ていて心が和みました。子供たちは毎年7月ごろから練習を始め、翌年の1月に最終発表となります。今回は中間発表とのことだったのですが、しっかりと練習の成果が発揮されていました。難しそうな神楽を複数人で息を合わせながら優雅に舞い踊る姿は、日々の練習に裏付けられた自信を感じました。
8日は夜から球磨神楽の奉納を行います。これは夕方の5時半から始まり、夜9時半ごろまでの約4時間続きます。その間、いくつもの神楽が青井阿蘇神社の神楽殿で披露されます。
個人的には『大小』という演目が最も印象的でした。これは男性二人が顔全体を長い髪で隠し、ダイナミックな動きで舞い踊る神楽で、球磨神楽を象徴するような神楽です。その妖しげな雰囲気と神楽殿を縦横無尽に舞い踊る様子に思わず見入ってしまいました。
球磨神楽
ところで、神楽とは何でしょうか。
神楽とは『日本の神道の神事において神に奉納するため奏される歌舞』(Wikipediaより)とされています。もとは宮中で行われていたものが民間に広まったようで、神楽の様式自体の成立は平安時代中期といわれています。
神楽にはいろいろと系統があるのですが、人吉球磨で舞われる『球磨神楽』は、獅子舞以外は直面(ひためん/被り物なし)の採物舞(とりものまい/道具を持って舞う)という系統に分類されるそうです。確かに舞うときは基本的に仮面のようなものはつけていませんでしたし、鈴がついた道具や扇子、大幣(おおべい)、弓を持って舞っていましたね。
球磨神楽は「ほぼすべての演目が直面の採物舞で、回って回り返す所作を基本とするが、足拍子を多く踏み、複数の舞人による演目では様々に隊形を変えて舞うなど芸態に特色がある」とされていて、国の無形重要文化財に指定されています。全国的に舞い手不足が話題となる神楽ですが、人吉では子供神楽がある関係か結構若い人が舞っているように見え、人によっては遠くに住んでいても毎年このおくんち祭りで球磨神楽を舞うために人吉に戻ってくる人もいるそうです。未来が安泰とまではいいませんが、球磨神楽を継承したいと考える人たちの努力は確実に実を結んでいると感じます。
とはいえ、なにもしなければ簡単に廃れてしまうのもまた事実。私も人吉球磨で生活している一人として、また、いち球磨神楽ファンとして、できるだけ多くの人に球磨神楽を知ってもらえるように球磨神楽の良さを伝えていこうと思いました。
神幸行列
8日の夜は球磨神楽が奉納され、最後に紅白餅が投げられて終了となりました。
そして翌日9日が、おくんち祭りのメインの日です。9日は朝8時から人々が青井阿蘇神社に集まり、神幸行列(しんこうぎょうれつ)が行われます。
神幸行列とは、簡単に言えばお神輿で青井阿蘇神社の周辺を練り歩くことです。青井阿蘇神社にあるお神輿に神様を宿し、そのお神輿が街を練り歩くのに続いて各団体が自分たちで用意したお神輿とともに練り歩きます。年によってコースは調整されているようで、去年まではコロナの影響もあり青井阿蘇神社の周囲を一周する程度だったそうです。しかし今年は5年ぶりに距離を伸ばし、中心市街地を通るコースになりました。
お神輿を担いだ団体は本当にたくさんあって、まずは子ども会による子供みこしが歩きました。参加者は基本的に小学生ですので、さすがにずっと担いでいたわけではないですが、それでも小学生の時からこういった地域行事に参加できるのは素敵なことだと思います。
そのあとに高校生や大人が担ぐお神輿が続きます。個人的にすごかったのが、球磨工業高校の神幸行列です。球磨工業高校には建築科の中に『伝統建築コース』というものがあり、伝統建築を学んで将来的には宮大工を目指す人もいるようなコースになります。球磨工業高校のお神輿は伝統建築コースの生徒が制作したものだそうで、自分たちの学校で作った神輿を担ぐ経験はとても貴重な経験になってすばらしいと思いました。
球磨工業高校の行列は『陵和会』という同窓会で参加されていたのですが、歩き始める前に現役の男子生徒が大勢で道路に並んで、威勢のいい掛け声とともに踊りを披露する『エッサッサ』が行われました。これがすさまじい迫力で、特に印象に残っています。
高校生や大人が担ぐお神輿には神様を宿していますので、神幸行列が終わったら神様を神社にお返しします。この儀式を『宮入り』というのですが、そちらも結構面白かったですね。中山きんに君のネタのように「終わるのかい、終わらないのかい、どっちな~んだい」という感じで神輿と誘導者のやりとりをするのがコミカルでよかったです。
この神幸行列はだいたい10時ごろから本格的に始まり、すべての宮入りが終わるのは午後1時を回っていました。すっかり楽しみましたが、この日のイベントはまだまだ続きます。
郷土演芸・民芸大会
おくんち祭りの神事としては、宮入りのあとの還幸祭、末社祭という行事で終わりとなりますが、青井阿蘇神社境内では郷土演芸・民芸大会というイベントが続きます。
そもそも、このおくんち祭りの期間は神様への奉納ということで各種スポーツの大会が開催されます。私もその一環で、6日にスポーツパレスで開催された柔道大会に見学に行きました。そして9日の午後からは、スポーツではなく演芸・民芸の発表会が開催されるのです。
ここに登壇した団体は人吉球磨で活動している団体です。人吉の子供向けダンスサークルから、ひょうたん踊り、筝教室、アロハダンス教室まで老若男女様々な芸事が発表されました。人吉球磨にこんなにたくさんの芸事の教室があるのを全然知らなかったので、見ていて楽しかったですね。個人的に特に印象的だったのは、「銀翔会」というよさこい踊りサークルの発表でした。今回初めてよさこいを見たのですが、熱いステージでグッときました。
おわり
そんな9日のお祭り騒ぎは終わり、11日の報宴祭をもっておくんち祭りは粛々と幕を閉じます。
私は今年初めておくんち祭りを経験しました。話には聞いていましたが、まさに町を挙げた一大行事でした。私の以前住んでいた地域にはこれほど町が一体となって開催される、歴史ある行事はなかったので、とても新鮮でした。
とはいえ、ほかの人に話を聞くと昔と比べて人がとても減ったという話を聞きました。確かに最も賑わっていたであろう昭和の時代と比べると、人口は大きく減少しています。しかしそれ以上に、お祭りがあっても行ってみよう、参加しようとする人の母数が大幅に減っていること、そして現代の個人主義的な風潮の中で「かかわらないことを選択している人」が増えたことが要因なのだと思います。
実は私も、以前はどちらかというとそちら側でした。しかし、人吉に来て移住定住促進の担当になり、地域を知らずに移住促進はできないと感じて地域に出ていくようになってから、その地域を形作る歴史や文化の面白さ、それを体験し、受け継ぐことの大切さを身をもって実感しました。
歴史はそれをつなげていく人がいなければ簡単に風化してしまいます。そういう人が地域内に居ればいいのですが、この少子高齢化社会では望み薄です。そこで、私がしている移住定住の促進という業務は必要になってくると思います。現代における移住定住促進においては、そういった「地域内では補いきれない部分」を外部から人を招くことで補ってもらおうという考え方が必要とされているとこの一年間で学びました。
そのためにも、もっと人吉のことを知って人吉の抱える課題を具体的に理解する必要がありますし、それができる人に情報をしっかりと届ける必要があるとも思います。やはり地域おこし協力隊の任期である3年では短いと感じますが、できる限り尽力していきたいと思います