笑顔☺食堂をはじめた『はるちゃん』小林さんです
2022.02.01
小林 始佳(こばやし はるか)
出身地 | 熊本県天草市 |
---|---|
移住年 | 令和3年(令和2年7月豪雨直後から1年半被災者支援をしてました)災害支援がきっかけで移住を決めました。 |
令和2年7月豪雨災害のあと、すぐに災害ボランティアとして、現地に入りました。その活動と新たな夢の実現のために人吉にいる時間が増え、住民票を移そうかなと考えはじめ、自然と移住しました。
人吉に来る前は熊本市にいましたが、実は都会がきらいなんですよ。出身は天草市の河浦町で、近くに崎津天主堂があり、海と山しかありません。人吉は川と山だけですけどね(笑)。
人吉の生活は、移動に車が必要ということを除いては、不便さを感じません。家で過ごすのが好きだし、買い物はちょっと行けば大きいスーパーもある。
■災害ボランティアとして
熊本地震の後、所属するボランティアチーム(一社)熊本支援チームの代表の影響で、本格的な災害ボランティアの活動を始めました。私は、災害が起きたらすぐに現地に向かい、状況の確認と受入れ体制を整える担当だったので、水害直後の人吉を訪れました。知り合いを通じて人吉市社会福祉協議会災害ボランティアセンターに繋いでもらって、ボランティアのニーズを確認し、すぐに作業の準備をしました。それでも情報が足りないので、SNS(会員制交流サイト)で情報を収集したり、歩き回って困っていそうな人に声を掛けたりしました。ただ最初は、なかなか受け入れてもらえないこともありましたね。
地震の時はがれきを撤去したら、リフォーム業者へ引き継いで終了というのがほとんどでしたが、水害は時間との勝負です。何もしないと腐食がどんどん進んでいきます。住まいの再建を解体かリフォームで悩まれてる人には、「とりあえず作業を進めますので、その間に考えてください」と話をしてから作業をしていました。リフォームして良かったと言われる人、途中で諦める人、どちらもどちらも経験しました。
■新たな夢
ボランティアを通し、地元の飲食店の人などいろいろな人とのつながりができました。特におじいちゃん・おばあちゃんとは、たくさんおしゃべりしたいけど、コロナ禍でなかなかその機会がつくれませんでした。それを経験したことで、居心地のいい、おしゃべりの場所を作りたい、それが人吉で食堂を始めようと思った理由です。
店舗周辺は、災害直後は電気がきてなく、まっ暗でしたが少しずつ明るくなってきました。建物は水害で被災し、最初はカビだらけ。カビの除去から消毒・リフォーム工事も全部、自分たちでやってます。1階は人が集う食堂、2階は事務所として使用し、災害時には防災拠点としていち早く情報発信、情報収集ができる場所をめざしています。
今後は、子ども食堂としての活動も計画しています。『夢食堂』という全国展開するプロジェクトの存在を知り、私も加盟して活動したいと考えています。大人が200円のチケットを購入し、そのチケットで子どもたちが無料で食べられるという活動です。食事に困った子どもを含め、みんなが平等に食べられる、何より子どもたちが喜んでくれる。そんな気兼ねなく、入りやすい食堂にしたい。
ボランティア活動を経験した人が、その後の復興状況を見るため人吉を訪れた時、一緒に活動した仲間が食堂をやっているので、食べに行こうと思えるような、災害を通してできた人吉とのつながりが切れないような拠点にもしていきたいです。
ボランティアに参加した学生たちがお店の情報を発信してくれたらいいなあ~。
大災害を乗り越え、復旧復興過程の人吉に移住したい人がいたら、私の店で働きませんか?(笑)